尊恵法親王とは? わかりやすく解説

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尊恵法親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/24 19:06 UTC 版)

尊恵法親王
続柄 二条天皇第一皇子

称号 狛宮、智慧光院
身位 法親王
出生 長寛2年7月22日1164年8月11日
死去 建久3年4月11日1192年5月23日)(享年29)
父親 二条天皇
母親 源光成女
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尊恵法親王(そんえほっしんのう、長寛2年7月22日1164年8月11日) - 建久3年4月11日1192年5月23日))は、平安時代後期の法親王天台宗二条天皇の皇子で、母は右馬助・源光成の娘。幼名は狛宮智慧光院を号す。

長寛2年(1164年)7月22日、二条天皇の皇子として誕生。承安4年(1174年)3月10日、11歳で園城寺に入り出家円満院に住む[1]文治元年(1185年大僧正・真円に灌頂を受け、阿闍梨に補される。後に権大僧都に任ぜられるが、建久3年(1192年)3月8日急病を発し、4月11日に脚気に因り29歳で薨去。「法器之人」と評された[2]

脚注

  1. ^ 『皇親系』。
  2. ^ 明月記建久3年4月11日条

参考文献





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