対馬府中藩による河川改修
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/22 15:16 UTC 版)
佐護川はしばしば氾濫を起こし、特に中山川と仁田ノ内川が合流し蛇行する地点の被害が大きかった。対馬府中藩は、享保8年(1722年)に斎藤四郎次定輝を普請奉行とし、佐護川の改修を命じた。定輝は蛇行地点の内側にある辰ノ口の丘に掘割を造り、仁田ノ内川の流路を変えた。定輝の功績を称えた碑が川辺にある。
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