富沢祥也の死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/06 15:23 UTC 版)
「2010年のサンマリノグランプリ (ロードレース)」の記事における「富沢祥也の死」の解説
決勝レース12周目の第11コーナー、4番手を走行していた富沢祥也が転倒、そして直後を走行していた2人のライダーと接触してしまった。富沢はサーキット近くの病院に搬送されたが、現地時間14時20分、死亡が確認された。 前戦インディアナポリスGPでも、サポートレースとして開催されたMD250Hで、ポイントリーダーであった13歳のピーター・レンツが転倒後の他車との接触で死亡しており、ロードレース界は2週連続で将来有望な若いライダーを失うこととなってしまった。
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