富永村 (石川県)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 富永村 (石川県)の意味・解説 

富永村 (石川県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/03 02:24 UTC 版)

とみながむら
富永村
廃止日 1954年11月3日
廃止理由 新設合併
富永村、羽咋町、千里浜村粟ノ保村一ノ宮村越路野村上甘田村下甘田村上中山 → 羽咋町
現在の自治体 羽咋市
廃止時点のデータ
日本
地方 中部地方北陸地方
都道府県 石川県
羽咋郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 1,652
(1953年)
隣接自治体 石川県:羽咋郡羽咋町粟ノ保村邑知町越路野村
富永村役場
所在地 石川県羽咋郡富永村深江
座標 北緯36度54分10秒 東経136度48分06秒 / 北緯36.90286度 東経136.80158度 / 36.90286; 136.80158 (富永村)座標: 北緯36度54分10秒 東経136度48分06秒 / 北緯36.90286度 東経136.80158度 / 36.90286; 136.80158 (富永村)
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

富永村(とみながむら)は、石川県羽咋郡に存在した

村の名称は、中世に存在した「富永保」「富永荘」に因む。

地理

現在の羽咋市の中部。現在の羽咋市の中心市街地の東隣に位置し、全体的に平地で、水田が主の村だった。

  • 河川 - 羽咋川、子浦川、吉崎川

歴史

  • 中世 - 「太田富永荘」「富永保」が当地に存在した。
  • 江戸期 - 「邑智院」に属する。
  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、羽咋郡東太田村、西太田村、石野町村、三ツ屋村、深江村及び吉崎村を廃し、その区域をもって羽咋郡富永村を設置する。
  • 1911年(明治44年)- 字東太田及び字西太田の区域を字太田に設定する。
  • 1954年(昭和29年)11月3日 - 羽咋郡羽咋町、千里浜村粟ノ保村、富永村、一ノ宮村越路野村及び上甘田村を廃し、その区域及び下甘田村字上中山の区域をもって羽咋郡羽咋町を設置する。富永村の5大字は羽咋町の大字に継承。[1]

教育

  • 富永村立富永小学校[2]

脚注

  1. ^ 1958年(昭和33年)7月1日に羽咋郡羽咋町を羽咋市とする。5大字はそのまま羽咋市の町となる
  2. ^ 羽咋町立、羽咋市立を経て、2006年4月、越路野小学校、鹿島路小学校と統合し羽咋市立瑞穂小学校となる

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「富永村 (石川県)」の関連用語

富永村 (石川県)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



富永村 (石川県)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの富永村 (石川県) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS