富永就姓とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 富永就姓の意味・解説 

富永就姓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/22 13:34 UTC 版)

 
富永就姓
時代 江戸時代前期
生誕 慶長9年(1604年
死没 貞享5年1月8日1688年2月9日
改名 宍戸猪之介(幼名)→富永猪之介→富永就姓
別名 六郎左衛門尉(通称)
主君 毛利輝元秀就綱広吉就
長州藩
氏族 藤原北家道兼流八田氏族宍戸氏→富永氏
父母 父:宍戸元真、母:富永元康の娘
兄弟 男子、就姓宍戸元忠
宍戸就正
テンプレートを表示

富永 就姓(とみなが なりうじ)は、江戸時代前期の武士毛利氏家臣で長州藩士。父は宍戸元真。母は富永元康の娘。

生涯

慶長9年(1604年)、毛利氏家臣である宍戸元真の次男として生まれる[1]

慶長15年(1610年)、毛利輝元小姓として仕え始め[1]、就姓の母の申し出を聞き届けた輝元は、就姓に「富永」の苗字を名乗らせて富永氏の先知行地を与えるよう毛利秀就に申し聞かせることを約束した[2]

また、輝元が病に伏せった際、就姓が輝元の側に日夜詰めて油断なく奉公していることを福原元頼から聞いた毛利秀就に賞賛されている[3]

寛永5年(1628年12月28日、毛利秀就から「就」の偏諱と「六郎左衛門尉」の官途名を与えられた[4]

貞享5年(1688年1月8日に死去[1]。享年85[1]。子の就正が後を継いだ[1]。なお、就正の代になっても富永氏の先知行地が与えられなかったため、就正が苗字を「宍戸」に戻すことを願い出て、以後は宍戸の苗字を名乗ることとなる[1]

系譜

  • 父:宍戸元真(1578-1648)
  • 母:富永元康の娘(?-?)
  • 正室:不明
    • 長男:宍戸就正(1629-1706) - 初名は富永左伝次。通称は忠左衛門、半右衛門。宝永3年8月5日1706年9月11日)に死去。享年78。

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c d e f 『閥閲録』巻32「宍戸権之助」家譜。
  2. ^ 『閥閲録』巻32「宍戸権之助」第1号、年不詳9月3日付、宍戸猪之介(就姓)宛て毛利輝元書状。
  3. ^ 『閥閲録』巻32「宍戸権之助」第2号、年不詳2月3日付、宍戸猪之介(就姓)宛て毛利秀就書状。
  4. ^ 『閥閲録』巻32「宍戸権之助」第3号、寛永5年(1628年)12月28日付、富永猪之介(就姓)宛て毛利秀就書状。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  富永就姓のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「富永就姓」の関連用語

1
宍戸元真 百科事典
18% |||||

2
宍戸元忠 百科事典
12% |||||

富永就姓のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



富永就姓のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの富永就姓 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS