家長となり家業を振興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/19 14:29 UTC 版)
日清戦争の結果、1895年の下関条約によって台湾は清朝から大日本帝国に割譲された。林朝棟は抵抗を試みたが失敗に終わり大陸に渡ったが、林資鏗には台湾に戻って林家の事業を継続するように命じた。当時の林家の家産は水田2千甲(2千ヘクタール)、山地2万甲(2万ヘクタール)にのぼり、さらに樟脳の専売権を有していた。 林資鏗は台湾に戻った後、製糖工場を創設した。さらに地元の郷紳たちと竜渓軽便鉄道公司を設立し、霧峰地方の交通と産業の発展を推進した。
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