宮木又七
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/06 10:04 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動宮木 又七(みやぎ またしち、明治3年9月28日[1](1870年10月22日) - 1929年(昭和4年)6月14日[2])は、朝鮮総督府官僚。
経歴
山梨県出身[1]。平井家に生まれ、宮木経吉の養子となった[1]。1899年(明治32年)に東京帝国大学法科大学政治科を卒業[3]。統監府書記官となり、韓国政府の招聘で仁川税関長となった[1]。1910年(明治43年)からは朝鮮総督府仁川税関長となる[1]。その後、全羅南道長官、同知事を務めた[1]。
退官後は日露実業株式会社社長に就任した[4]。
栄典
脚注
- ^ a b c d e f 人事興信録 1918.
- ^ 「(死亡広告)正四位勲三等宮木又七儀」『朝日新聞』、1929年6月16日、4面。
- ^ 帝国大学出身録 1922, p. 1492.
- ^ 「日露実業株式会社」 アジア歴史資料センター Ref.B10074105800
- ^ 『官報』第772号「叙任及辞令」1915年3月2日。
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 原田登編『帝国大学出身録』帝国大学出身録編輯所、1922年。
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