宮寺村とは? わかりやすく解説

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宮寺村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/29 00:20 UTC 版)

みやでらむら
宮寺村
廃止日 1956年9月30日
廃止理由 新設合併
豊岡町金子村宮寺村藤沢村西武町の一部 → 武蔵町
現在の自治体 入間市
廃止時点のデータ
日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
入間郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 埼玉県所沢市入間郡豊岡町藤沢村西武町金子村元狭山村
東京都西多摩郡瑞穂町
宮寺村役場
所在地 埼玉県入間郡宮寺村
座標 北緯35度47分41秒 東経139度22分37秒 / 北緯35.79483度 東経139.37692度 / 35.79483; 139.37692座標: 北緯35度47分41秒 東経139度22分37秒 / 北緯35.79483度 東経139.37692度 / 35.79483; 139.37692
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宮寺村(みやでらむら)は埼玉県の南西部、入間郡に属していた

地理

  • 位置:武蔵野台地の狭山丘陵北麓。古多摩川の扇状地、主に立川面に面し、北部段丘上は下末吉面(金子台)。
  • 河川:不老川

歴史

史料上は南北朝時代以降に宮寺郷の名があり,宮寺村から隣接する三ヶ島村にかけてに比定されている。戦国時代には小田原北条氏の支配下にあった。徳川幕府初期に中野・荻原・小ケ谷戸・大森・坊・矢寺(以上が後の宮寺村)・二本木(宮寺村および元狭山村)・富士山・駒形・高根(元狭山村)・糀谷(三ヶ島村)の11ヶ村に分かれたという。旗本領であった。

  • 1875年(明治8年) 宮寺郷のうち小ヶ谷戸村、坊村、二本木村坂部上知、荻原村、中野村、大森村、矢寺村及び宮寺新田、宮野新田が合併して宮寺村となる。
  • 1889年(明治22年)4月1日 町村制施行においては、それまでの宮寺村がそのまま継承され入間郡宮寺村となる。
  • 1956年(昭和31年)9月30日 豊岡町金子村藤沢村、宮寺村、西武町の一部(旧東金子村)が合併し武蔵町が新設される。

神社・仏閣 

関連項目




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