室賀正勝
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室賀 正勝(むろが まさかつ、 - 享保9年11月5日)は江戸時代の旗本。
室賀正俊の長男。母は上田重秀の娘。子に正房、正普、正便、俊方がいる。通称は甚四郎。
寛文5年(1665年)12月26日、将軍徳川家綱に拝謁し、神田御殿にて館林藩主徳川綱吉に出仕し小姓となり、父から上野国・武蔵国のうち6000石を相続する。寛文8年(1668年)綱吉に従い江戸城西の丸に候し、綱吉が将軍に就任すると旗本に帰する。貞享元年(1684年)10月10日寄合に列する。のちに采地が美濃国各務郡・遠江国山名郡・城東郡・佐野郡に替地となる。享保9年死去。享年73。法名は英尚。
妻は小栗政俊の養女。また大河内系松平正信の養女を娶る。家督は次男の正普が相続したが、三男の正便に各務郡のうち500石が分知された。
参考文献
- 「寛政重修諸家譜 巻第二百三十八」
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