室賀正勝とは? わかりやすく解説

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室賀正勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/24 13:41 UTC 版)

室賀 正勝(むろが まさかつ、 - 享保9年11月5日)は江戸時代旗本

室賀正俊の長男。母は上田重秀の娘。子に正房、正普、正便、俊方がいる。通称は甚四郎。

寛文5年(1665年)12月26日、将軍徳川家綱に拝謁し、神田御殿にて館林藩徳川綱吉に出仕し小姓となり、父から上野国武蔵国のうち6000石を相続する。寛文8年(1668年)綱吉に従い江戸城西の丸に候し、綱吉が将軍に就任すると旗本に帰する。貞享元年(1684年)10月10日寄合に列する。のちに采地が美濃国各務郡遠江国山名郡城東郡佐野郡に替地となる。享保9年死去。享年73。法名は英尚。

妻は小栗政俊の養女。また大河内系松平正信の養女を娶る。家督は次男の正普が相続したが、三男の正便に各務郡のうち500石が分知された。

参考文献




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