室賀正吉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/25 03:55 UTC 版)
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時代 | 戦国時代 |
生誕 | 不明 |
死没 | 永禄11年3月23日(1568年4月20日)[1] |
戒名 | 花巌禅春禅定門[1] |
官位 | 常陸守[1] |
主君 | 甲斐武田氏 |
父母 | 父:室賀盛清[1] |
兄弟 | 信俊、経秀?、正吉[1] |
室賀 正吉(むろが まさよし)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏家臣。
経歴・人物
小県郡小島村(現:長野県上田市小島)で100貫文の知行を持つ[1]。永禄10年(1567年)8月7日付けの武田氏に対する忠節を誓う起請文を生島足島神社に奉納した下之郷起請文においては室賀一族と連名して山県昌景に提出している[1]。
脚注
- 室賀正吉のページへのリンク