安達房治郎とは? わかりやすく解説

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安達房治郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/06 07:39 UTC 版)

安達 房治郎(あだち ふさじろう、1884年明治17年〉8月19日[1][2] - 1968年昭和43年〉8月10日[3])は、日本逓信官僚朝鮮総督府官僚。実業家

経歴

愛知県名古屋市出身[1]。安達知道の二男[2]1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、高等文官試験に合格した[1]。逓信属、逓信管理局事務官、逓信書記官、高等海員審判所理事官などを歴任[1]1920年大正9年)、国際労働機関事務局職員となる[1]1923年(大正12年)に帰国後は、帝都復興院物資供給課長を務めた後、朝鮮総督府土地改良部長に転じ、さらに咸鏡北道知事に就いた[1]

1930年(昭和5年)に退官した後は、台湾電力株式会社副社長、台湾電化株式会社取締役、日本アルミニウム株式会社監査役、朝鮮蛍石株式会社社長、日本鉱業株式会社取締役、帝国石油資源開発株式会社取締役、朝鮮日産化学株式会社社長などを務めた[1][4][5]

戦後、公職追放となった[6]。のち鎌倉市議会副議長を務めた[2]

脚注

  1. ^ a b c d e f g 大衆人事録 1937.
  2. ^ a b c 人事興信所 1968, あ4頁.
  3. ^ 人事興信所 1969, 哀悼録1頁.
  4. ^ 人事興信録 1941.
  5. ^ 人事興信録 1943.
  6. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』189頁。

参考文献




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