安藤証言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 13:53 UTC 版)
生存者であった同盟通信記者安藤利男は1937年10月、「虐殺の巷通州を脱出して」を日本外交協会で発表し、同年『通州兵変の真相』(森田書房)を刊行した。安藤は戦後も1955年(昭和30年)『文藝春秋』に「通州の日本人大虐殺」と題して回想を発表した。 「前日あたりにさう云ふ気配はなかつたかと云ふことをよく聞かれるのでありますが、吾々は、誠にお恥しい話でありますけれども、事件が始まつてからも、まさか保安隊の兵変であらうなどとは気が付かなかつたほど、全く突然寝返りを打たれたのでありまして、特務機関の御方なんかも、まさかそんな事はなからうと云ふやうな話を前の日にされて居りました」と述べている。 このほか尋常ならざる殺害の状況(強姦され陰部にほうきを刺された女性の遺体、斬首後死姦された女性の遺体、腹から腸を取り出された遺体、針金で鼻輪を通された子供など)について書かれている。
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