安藤定殻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/26 14:34 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動安藤 定殻(あんどう さだみ/さだよし、宝永5年(1708年) - 寛延2年7月10日(1749年8月22日))は、江戸幕府旗本で茶人。『寛政重修諸家譜』は諱を定穀としている。阿久和安藤家6代。安藤定房の子。母は大久保忠兼の娘。通称は岩之丞、大膳、治右衛門。号は鶯渓、翼々庵(斎)。室は土井利良の娘。子に水野元丈室、安藤正甫。
父定房とともに茶道南坊流の笠原道桂に師事した。寛保3年(1743年)に父が没し家督を継ぐが、父の最晩年に起きた圧政による農民の駕籠訴事件で蟄居となった。延享元年(1744年)3月11日田原藩4代藩主三宅康高に南坊録を書写させた。寛延2年(1749年)、43歳で没した。墓所は早稲田・龍善寺。
参考文献
- 日本人名大辞典(講談社)
- 定房' わがまち瀬谷第30号(平成22年7月発行)
- 寛政重修諸家譜第17
- 安藤定殻のページへのリンク