安田謹
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やすだ きん
安田 謹 |
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生誕 | 明治5年7月15日(1872年8月18日) |
死没 | 昭和40年(1965年)7月31日 |
国籍 | ![]() |
職業 | 柔術家、柔道家 |
流派 | 関口流柔術、天神真楊流柔術、柔道 |
配偶者 | 森貞邨 |
子供 | 安田久美子 |
親 | 安田弥一 |
安田謹(やすだ きん、明治5年7月15日(1872年8月18日) - 昭和40年(1965年)7月31日)とは日本の柔術家、柔道家である。
経歴
明治5年(1872年)7月15日に生まれる。
家は藩の勘定方である。父の安田弥一より関口流柔術を学ぶ。
明治21年(1888年)に軍人の森貞邨を婿に迎えた。明治30年(1897年)に夫が死去した後、長女の久美子が誕生。
明治32年(1899年)に上京し東京裁縫女学校で和洋裁を学ぶ。また、八木寅次郎から天神真楊流を、嘉納治五郎から柔道を学んだ。柔道では女子部で活躍し全国初の段位のない有段者となった。
明治44年(1911年)に帰県し自宅で道場を開いた。昭和9年(1934年)3月に柔道練士の称号を受けた。
柔術、柔道の他に薙刀、琴、三味線、茶道にも通じていた。
参考文献
- 『阿波人物誌』(や、安田謹)
- 安田謹のページへのリンク