孟永玉とは? わかりやすく解説

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孟永玉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/08 07:11 UTC 版)

孟 永玉
各種表記
ハングル 맹영옥
漢字 孟 永玉
発音: メン・ヨンオク
各種表記(創氏改名・通名)
漢字 松原一盛
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孟 永玉(メン・ヨンオク、朝鮮語: 맹영옥1892年2月1日 - 没年不詳)は、日本統治時代の朝鮮実業家。日本名は松原一盛

京城府出身であり、鉱業を商っていた。

生涯

1913年6月から1916年10月まで朝鮮総督府臨時土地調査局で技手、総督府鉱山課を経て、退職後に平安北道昌城郡で完豊金鉱を起業し、経営した[1]

1937年3月10日、完豊金鉱を中外錦園に140万ウォンで売却し、このなかで1万ウォンを国防献金として献納した。同年7月30日、高射機関銃1台購入費10,000ウォンを日本軍関連機関に献納した。同年11月22日に江原道金化郡近東面と遠南面所在の金鉱、銀鉱、油化鉄鉱90万坪に対する鉱業権を設定し、1937年12月6日には防空模型の製作費として1万ウォンを寄付した。

1938年8月6日に朝鮮総督府に防空模型20点を寄付したほか、1939年11月、朝鮮柔道連合会参事を務めた。

1939年12月、朝鮮総督府に防空模型20点を寄付した功労が認められ、日本政府から紺綬褒章を受けた。没年は不明である。

民族問題研究所親日人名辞典収録者名簿の経済部門に収録された。

脚注

  1. ^ 금결병환자에 낭보”. NAVER Newslibrary. 조선일보 (1937年2月21日). 2022年8月10日閲覧。

参考資料

  • 民族問題研究所(2009) 〈孟永玉〉《親日人名辞典1(ㄱ~ㅂ》ソウル 778ページ。



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