姫姓蓼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/28 09:17 UTC 版)
一国は『春秋左氏伝』桓公十一年(紀元前701年、楚の武王四十年)に「鄖(中国語版、朝鮮語版)人の軍が蒲騒に陣取り、随(中国語版、英語版)・絞(中国語版)・州(中国語版)・蓼が与し、楚を伐した」と記載がある。現在の河南省南陽市唐河県に位置する蓼で、廖とも呼ばれる。『春秋左氏伝』哀公十七年には春秋時代末期の楚の大夫が先君の楚の武王時期に州と蓼を克し、功を立てたことを追溯した。州と蓼の両国を言及されていることから、楚の武王四十年に州等の国が連合して楚を討伐したことを計画したのは蓼と考えられている。
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