妙光寺 (江戸川区平井)とは? わかりやすく解説

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妙光寺 (江戸川区平井)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 01:49 UTC 版)

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妙光寺
所在地 東京都江戸川区平井6-12-9
位置 北緯35度42分26.8秒 東経139度50分18.9秒 / 北緯35.707444度 東経139.838583度 / 35.707444; 139.838583 (妙光寺 (江戸川区平井))座標: 北緯35度42分26.8秒 東経139度50分18.9秒 / 北緯35.707444度 東経139.838583度 / 35.707444; 139.838583 (妙光寺 (江戸川区平井))
山号 安立山
宗派 日蓮宗
本尊 日蓮聖人(坐像・小金像)
創建年 慶長3年(1598年
開山 安立院日饒
文化財 田口初右衛門筆子塚(江戸川区無形文化文化財)、木造日蓮聖人坐像(江戸川区指定有形文化財)
法人番号 1011705000200
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妙光寺(みょうこうじ)は、東京都江戸川区にある日蓮宗寺院

歴史

1598年 (慶長3年)、安立院日饒によって開山された。その後、1703年元禄16年)の元禄地震津波で堂宇もろとも流失したが、日信が再興した。現在の本堂は水害を防ぐために底上げしており、1966年昭和41年)に新築されている[1]

シジミの御祖師様

当寺の本尊の一つに日蓮聖人の小金像がある。全長約2センチメートルの小像で、加藤清正朝鮮出兵の折、自らのの中に入れて陣仏としていたものである。その後、清正の親族でもあった日饒に譲り、日饒はこれを当寺の本尊とした。ところが元禄の津波で流失し、行方不明となった。約100年後の1807年文化4年)、中川シジミ漁をしていた漁師によって再発見された。それゆえ、俗に「シジミの御祖師様」と呼ばれるようになった[1][2]

文化財

  • 田口初右衛門筆子塚 - 江戸川区無形文化財・歴史資料、平成3年2月26日告示[3]
  • 木造日蓮聖人坐像 - 江戸川区指定有形文化財・彫刻、平成24年3月27日告示[4]

交通アクセス

脚注

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  1. ^ a b 江戸川区史編纂室 編『江戸川区史 第3巻』江戸川区、1976年、538p
  2. ^ 江戸川区教育委員会 編『江戸川区の史跡と名所(第13版新装改訂版)』江戸川区教育委員会、2000年、145p
  3. ^ 田口初右衛門筆子塚江戸川区
  4. ^ 木造日蓮聖人坐像江戸川区

参考文献

  • 江戸川区史編纂室 編『江戸川区史 第3巻』江戸川区、1976年



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