奥書の記述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 16:26 UTC 版)
「後光厳院本源氏物語系図」の記事における「奥書の記述」の解説
本系図の奥書には、 「延文三年南呂五日以昭訓門女院御秘本書写之証 前尾州刺史大江朝臣 本云 元応第二暦十一月二日以定家卿自筆本所書写也 権中納言藤原朝臣」 という、「元応2年11月2日(1320年12月2日)に藤原定家が作成した系図を権中納言である藤原朝臣(このときの権中納言である藤原朝臣が藤原定家の曾孫である藤原為藤(二条為藤)であると考えられる)が書写し、それをさらに延文3年8月5日(1358年9月8日)に前尾州刺史大江朝臣なる人物が書写した」との記述があるが、本書を伝えてきた前田家ではこの「大江朝臣」が後光厳天皇の仮称であるとして、奉書にもともと「筆写不知」と記されていたものを、線で消して「後光厳院宸筆」と記している。
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