奥山氏の叛乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 13:31 UTC 版)
奥山氏は山香荘奥山郷を領する国衆であり、天野氏の同心でもあった。当時の惣領・奥山吉兼は寄親である天野景泰に同心して叛乱を起こしたが、庶流の奥山定友・友久兄弟は今川方に残留して今川氏より惣領職を安堵された。しかし奥山氏は早期に叛乱が鎮圧された天野氏と異なり、叛乱側である奥山吉兼が引き続き奥山郷を実効支配した。このため定友・友久兄弟は今川氏より替地として上長尾郷(現・川根本町)を与えられ、天野藤秀や天方三河守と共に中尾生城の普請を行い叛乱軍に備えた。この吉兼ら叛乱側が奥山郷を実効支配する状態は永禄12年(1569年)に今川氏が滅亡するまで継続したとみられている。
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