天神社 (奈良市高畑町)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/11 09:53 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動
![]() |
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。
出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2015年8月) |
天神社 | |
---|---|
天神社 |
|
所在地 | 奈良県奈良市高畑町1049 |
位置 | 北緯34度40分41.93秒 東経135度50分12.62秒座標: 北緯34度40分41.93秒 東経135度50分12.62秒 |
主祭神 | 少彦名命 菅原道真公 |
社格等 | 旧村社、神饌幣帛料供進社[1] |
創建 | 承保五年(1078年) |
本殿の様式 | 一間社春日造桧皮葺 |
例祭 | 10月10日 |
地図 |
天神社(てんじんしゃ)は、奈良県奈良市高畑町にある神社。奈良町天神社とも呼ばれる。北天満の天神社で、境内地は約1,000平方メートル。
祭神
本殿
歴史
略縁起では、承保5年(1078年)の草創とされている。後に、元興寺禅定院鎮護の社、興福寺大乗院の鎮守社となった[2]。祭神はもともと少彦名命であるが、この神は手間天神(てまのあまつかみ)という別名を持つことより、一般にてまてんじんと呼ばれた。後に奈良のゆかりの菅原道真公を相殿に祀るようになった。社伝によると、道真が祀られたのは平安時代、白河天皇の御世であったという。
嘉吉元年(1441年)5月6日、猿楽が執り行われた。享保五年(1720年)10月24日夜、天満宮が焼失し、同6年5月に造替されている。
祭事
氏子関係の町で四組を編成し、年番を持ち回りする。秋祭礼には渡御行列があり、5月5日の節句には舞楽が奉納されていた。
境内
本殿
一間社春日造・桧皮葺で、江戸時代中期の建築だが細部に古い様式をそなえる。
拝殿
桁行二間・梁行一間の向拝唐破風造・桧皮葺・瓦棟で、これも江戸時代中期の建築である。
御廊
割拝殿のように馬道をつけており、社務所として利用されている。桁行八間・梁行二間・切妻造・本瓦葺の、江戸時代中期の建築である。
ギャラリー
境内社
- 境内社
- 末社
境内東の一段低いところに、池を中心に配置。
現地情報
- 所在地
- 交通アクセス
脚注
出典
参考文献
- 天神社略縁起
- 奈良市史編集審議会編『奈良市史 社寺編』、吉川弘文館、1985、p81
- 『奈良県史 5 神社』奈良県史編集委員会、名著出版、1989年。
関連項目
「天神社 (奈良市高畑町)」の例文・使い方・用例・文例
- 天神社_(奈良市高畑町)のページへのリンク