大門義雄とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 大門義雄の意味・解説 

大門義雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/18 15:01 UTC 版)

大門 義雄(だいもん よしお、1901年4月8日 - 1975年5月1日)は、昭和時代の労働運動家全国一般労働組合委員長。

経歴

富山県西砺波郡戸出町(現高岡市)生まれ。旧姓は安田。幼少時に大門家の養子になった[1]法政大学専門部中退[2]。1926年上京、1927年東京瓦斯会社(現東京ガス)に入社、東京瓦斯工組合に加盟。1931年東京瓦斯工組合教育出版部長[1]。争議を指導してたびたび検束された。1935年東京瓦斯工組合書記長、1938年執行委員長[2]。1941年東京瓦斯会社を退社、1942年日本曹達勤労部に入社、1942年化学工業統制会に勤務。この間、1929年新労農党創立に参加、1931年全国労農大衆党、1932年社会大衆党の結党で中央委員[1]

1945年10月の全国労働組合結成懇談会に出席、労働組合結成中央準備委員会委員[3]。1946年8月日本労働組合総同盟(総同盟)第1回大会で青年対策部長、1947年中央委員・教育文化部長、1948~1950年主事[1]。1950年7月の日本労働組合総評議会(総評)結成に参加[2]。総評結成に伴う総同盟分裂の際は左派に所属[4]。1951年6月東京一般中小労働組合連合(のち全国一般労働組合東京連合会)結成で会長、1964年まで在任[1]。1955年7月全国一般合同労働組合連絡協議会(全国一般)を結成[4]、議長[5]。1956年に全国一般合同労働組合協議会、1958年に全国一般合同労働組合連合に改称した後も議長、1960年に全国一般労働組合に改称した後も委員長を務め、1975年の死去まで在任[1]。この間1945年の日本社会党結党に参加、中央執行委員。1946年全国化学産業労働組合同盟(化学同盟)結成で主事[1]。1947年東京都議会議員に当選、以後3回連続当選[2]。1960年11月の第29回衆議院議員総選挙東京都第4区から社会党公認で立候補するが落選した。

著書

  • 『勞働組合論』(山水社[社會新書]、1946年)
  • 『勞働組合――理論と運營』(中央勞働學園、1948年)
  • 『労働組合運営事典』(落合英一、澤田廣共編、労働文化社、1949年)

脚注

  1. ^ a b c d e f g 塩田庄兵衛編集代表『日本社会運動人名辞典』青木書店、1979年、335-336頁
  2. ^ a b c d 20世紀日本人名事典の解説 コトバンク
  3. ^ 労働省編『資料労働運動史 昭和20.21年』労務行政研究所、1951年
  4. ^ a b 現代革命運動事典編集委員会編『現代革命運動事典』流動出版、1981年、172-173頁
  5. ^ 法政大学大原社会問題研究所編『日本労働年鑑 第28集 1956年版』労働旬報社、1971年



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  大門義雄のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大門義雄」の関連用語

大門義雄のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大門義雄のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大門義雄 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS