大門資長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/30 13:24 UTC 版)
|
|
---|---|
時代 | 戦国時代 |
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 左衛門尉 |
主君 | 宇都宮氏、壬生氏 |
氏族 | 壬生氏(小槻氏) |
父母 | 父:壬生綱重 |
兄弟 | 壬生綱房、壬生徳雪斎、大門資長 |
子 | 大門資忠 |
大門 資長(だいもん すけたけ)は戦国時代の武将。宇都宮氏家臣・壬生氏庶流の大門氏の祖。壬生綱重の三男の説と、壬生綱房の三男とする説がある。子に大門資忠。
略歴
鹿沼にある村井城の城主であったといわれている。壬生氏の一族として重臣に名を連ねている。
壬生氏の鹿沼進出に伴い、鹿沼と壬生の交通路を掌握・確保するために鹿沼・壬生間の中継地点に位置する村井城の城主を任され、新たに大門を名字としたという。
天文年間に伊勢内宮の御師佐八氏に祈祷を依頼した書状が残されている。そこには「左衛門尉」の官途が記されており、資長は既に元服をはたしていた。
人物
「子・むまご、類ひろく栄えたる人」[1]
脚注
- ^ 「東路のつと」
参考文献
- 江田郁夫 編著『下野の中世を旅する』(随想舎出版、2009年)ISBN 978-4-88748-207-4
- 大門資長のページへのリンク