大谷米一
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大谷 米一(おおたに よねいち、1916年6月1日 - 1995年5月9日)は、日本の経営者。ニューオータニ社長、会長を務めた[1]。大谷米太郎の三男として生まれ、叔父の大谷竹次郎の養子となった[2]。長男は大谷和彦。
経歴
東京都出身[1]。1939年に早稲田大学商学部を卒業[1]。
1961年にニューオータニ取締役に就任し、副社長を経て、1973年5月には社長に就任し、1993年6月には会長に就任[3]。
人物
日本中央競馬会(JRA)に登録していた馬主でもあり[5]、勝負服の柄は桃、青袖、冠名には「キオイ」を用いた。主な所有馬にはオープン特別戦2勝のキオイドリーム[6]がいる。自身の没後には長男の和彦も馬主となっている[7]。
脚注
- ^ a b c d 人事興信所 1991, お185頁.
- ^ 『人事興信録 第25版 上』(人事興信所、1969年)お172頁
- ^ 『現代物故者事典 1994-1996』p113
- ^ 日本経済新聞 1995年5月10日 朝刊 p35
- ^ “大谷米一のプロフィール”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2025年7月9日閲覧。
- ^ “キオイドリーム”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2025年7月9日閲覧。
- ^ “大谷和彦のプロフィール”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2025年7月9日閲覧。
関連書籍
- 人事興信所 編『人事興信録 第36版 上』人事興信所、1991年。
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