大滝龍蔵とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 大滝龍蔵の意味・解説 

大滝龍蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/31 10:10 UTC 版)

大滝 龍蔵(大瀧 龍藏、おおたき りゅうぞう、1846年2月5日(弘化3年1月10日[1])- 1914年大正3年)1月8日[2][3])は、明治期の公吏、実業家政治家衆議院議員、初代山形県米沢市長。

経歴

出羽国置賜郡米沢屋代町下ノ町[3]山形県[2]南置賜郡米沢屋代町下ノ町を経て現米沢市[4])で生まれた[3]

1873年(明治6年)置賜県学区取締・十三等出仕となる[2][4][5]。権少属、小属、権中属を歴任し[2][4][5]、1882年(明治15年)置賜県廃止となり失職した[5]。その後、沖縄県三等属に発令され[2][4][5]、租税課権勧業課長を務めた[3]。1883(明治16年)に退官[5]

その後実業界に転じ、米沢元商社副社長、同社長、米沢製糸場社長などを務めた[2][3][5]。1889年(明治22年)7月、初代米沢市長に就任し[2][3][4]、1899年(明治32年)7月まで2期在任[3]。この間、市役所の建設、市立工業学校の開校などを行った[3]。また、米沢市会議員、同参事会員にも在任した[2][4]。市長退任後、第百二十五銀行頭取に就任した[5]

1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙(山形県米沢市、立憲政友会)で当選し[3][6]、衆議院議員に1期在任した[2][4]

脚注

  1. ^ 衆議院『衆議院議員名簿』〈第十七回帝国議会衆議院公報第1号附録〉、1902年、18頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』130頁。
  3. ^ a b c d e f g h i 『日本の歴代市長 第1巻』381頁。
  4. ^ a b c d e f g 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』96頁。
  5. ^ a b c d e f g 『人事興信録 初版』280頁。
  6. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』23頁。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長 第1巻』歴代知事編纂会、1983年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  大滝龍蔵のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大滝龍蔵」の関連用語

大滝龍蔵のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大滝龍蔵のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大滝龍蔵 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS