大学入学から祝嶺正献との出会いまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/26 22:39 UTC 版)
「谷口興一」の記事における「大学入学から祝嶺正献との出会いまで」の解説
1956年(昭和31年)、東京医科歯科大学に入学。当時の医学部進学課程、歯学部進学課程(現在の教養課程にあたる)は千葉大学文理学部に委嘱されていた。谷口は数人と協力して、千葉大学文理学部に空手同好会を発足させることに成功した。当時稲毛にあった千葉大学文理学部の旧陸軍兵舎の一室を道場として練習を開始した。その年の10月の中旬、埼玉大学空手道演武会に招待された谷口は、そこで玄制流空手道師範の祝嶺正献(当時は制献)の四十八手の型を目の当たりにし、その素晴らしさにただ茫然と見とれるのみであったという。終了後の打ち上げコンパの会場で祝嶺を紹介された谷口は、その日祝嶺の練馬の自宅に宿泊することとなり、この日をもって玄制流空手道に入門した。
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