大坊古墳_(玉名市)とは? わかりやすく解説

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大坊古墳 (玉名市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/28 07:51 UTC 版)

大坊古墳
所在地 熊本県玉名市玉名2818-5
位置 北緯32度56分55.0秒 東経130度34分14.0秒 / 北緯32.948611度 東経130.570556度 / 32.948611; 130.570556座標: 北緯32度56分55.0秒 東経130度34分14.0秒 / 北緯32.948611度 東経130.570556度 / 32.948611; 130.570556
形状 前方後円墳
規模 全長約54m、前方部の長さ約30m、幅23m、後円部の直径約24m。奥室の床面幅2.7m、奥行き3.4m、高さ2.8m
出土品 人骨片・刀子・小玉・鈴等
築造時期 6世紀前半~中頃
史跡 国指定史跡(1977年(昭和52年)2月17日
地図
大坊古墳
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大坊古墳(だいぼうこふん)は、熊本県玉名市玉名字大坊に所在する装飾古墳。国の史跡に指定されている。

概要

 菊池川右岸の玉名平野をのぞむ丘陵の先端に位置しており、6世紀前半から中ごろに造られた古墳。墳丘は変形しているが前方後円墳である。後円部には前室と奥室とからなる複室と呼ばれる構造の横穴式石室を持ち、南側に開口している。

 1917年(大正6年)京都帝国大学文科大学(現在の京都大学大学院文学研究科・文学部)の浜田耕作梅原末治により初めて学術的調査が行われて,調査報告が『肥後における装飾ある古墳及び横穴』として刊行され,装飾のある古墳のことが初めて世に知られるようになった。

 1963年(昭和38年)に内部の清掃と調査が行われ全容が明らかになった。装飾はこの石室の第一、第二羨門の両支柱と奥室の石屋形と呼ばれる大型の石棺状のものに朱と群青を使って施されており、特に石屋形には5段に並べられた多数の連続三角文と、その中に数個の円文を描く。 出土遺物は金製の耳飾りや真珠、玉類などの装身具、大刀や鉄鏃などの鉄器、鉄製の馬具類、土器など数百点にものぼる。

特記事項

  • 現在は保護施設により密閉してあるが、毎年10月頃一般公開が行われる。
  • 当古墳の北東約500mの位置にやはり装飾を持つ永安寺東古墳・西古墳(国の史跡)がある。

脚注

参考文献

  • 『装飾古墳白書』装飾古墳を守る会 1978年
  • 『熊本県装飾古墳総合調査報告書』熊本県教育委員会 1984年

関連項目

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