大光院 (愛知県南知多町)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 大光院 (愛知県南知多町)の意味・解説 

大光院 (愛知県南知多町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/15 16:57 UTC 版)

大光院
所在地 愛知県知多郡南知多町大字日間賀島字小戸地59
位置 北緯34度42分18.2秒 東経137度00分37.2秒 / 北緯34.705056度 東経137.010333度 / 34.705056; 137.010333座標: 北緯34度42分18.2秒 東経137度00分37.2秒 / 北緯34.705056度 東経137.010333度 / 34.705056; 137.010333
山号 魚養山
宗旨 真言宗
宗派 豊山派
本尊 大日如来
開山 弘法大師
開基 行基
札所等 知多四国霊場(第37番)
法人番号 2180005012186
テンプレートを表示

大光院(だいこういん)は、愛知県知多郡南知多町大字日間賀島字小戸地59にある真言宗豊山派寺院[1][2]

概要

山号は魚養山[1][2]本尊大日如来[1][2]知多四国霊場第37番札所[1][2]。東西に集落がある日間賀島の東集落にある[2]。日間賀島には30以上の古墳があるが、大光院の境内には大光古墳がある[2]

歴史

神亀2年(725年)、行基によって大井(現在の愛知県知多郡南知多町大井)の医王寺が開創されると、12坊の1坊として大井に建立された[2]。開山は弘法大師[2]。医王寺が火災で焼失した後の建暦2年(1212年)、1山7坊の1院として三河湾日間賀島に再建された[2]元禄4年(1691年)に再興された[2]

昭和に入ってからは無住の時期が長く、太平洋戦争後にはかなり荒廃した[2]1971年昭和46年)に若山住職が入って再興し、1975年(昭和50年)には巡拝者や島民などの浄財、青年団の労働奉仕を受けて本堂を新築した[2]1980年(昭和55年)には大塚卯三郎の石像と顕彰碑が建立された[2]。別堂には金毘羅大権現が祀られ、海上安全の守護となっている[2]

現地情報

所在地
愛知県知多郡南知多町大字日間賀島字小戸地59

脚注

  1. ^ a b c d 真野由季江『知多四国八十八ヵ所めぐり 知多四国霊場会公認ガイド』祥伝社、2003年
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 知多四国霊場会 監修『知多四国巡礼 決定版 地図ガイド』歴遊舎、2013年

参考文献

  • 真野由季江『知多四国八十八ヵ所めぐり 知多四国霊場会公認ガイド』祥伝社、2003年
  • 知多四国霊場会 監修『知多四国巡礼 決定版 地図ガイド』歴遊舎、2013年

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  大光院 (愛知県南知多町)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大光院 (愛知県南知多町)」の関連用語

大光院 (愛知県南知多町)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大光院 (愛知県南知多町)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大光院 (愛知県南知多町) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS