墓石と遺骸・墓石修復など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 00:23 UTC 版)
「徳川宗春」の記事における「墓石と遺骸・墓石修復など」の解説
宗春の死後、遺体は建中寺に埋葬された。土葬だったため、明治期の発掘調査ではミイラ化した状態で見つかり、経帷子や守り刀の木刀も残っていた。 昭和20年(1945年)に名古屋市が空襲を受けた際、焼夷弾の直撃を受けて墓石の一部が損傷した。尾張藩主代々の墓石は、修復が困難な鵜沼石が用いられており、しばらく損傷した状態であった。戦後、名古屋市の復興都市計画に伴い、市内の墓が千種区の平和公園に移転し、宗春の墓も移されるとともに遺骸は火葬された。なお、副葬品などは建中寺に納められている。
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