堀尾氏の事例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 08:10 UTC 版)
堀尾氏(松江藩)は、出雲国、隠岐国の二令制国で一城というかたちになった。 堀尾忠晴は松江城を残し、出雲国の月山富田城(尼子氏の居城)、隠岐氏の居城だった隠岐国にある島後の国府尾城(甲ノ尾城)、島前の美田城などを破却した。また自領以外にも、寛永9年(1632年)、幕府により丹波亀山城を破却するように命じられるが、間違って伊勢亀山城を解体してしまった。 のちに偶然ではあるが、堀尾氏の子孫である石川憲之が伊勢亀山藩に入る。
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