地理および人口統計
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 23:41 UTC 版)
「ワルシャワ公国」の記事における「地理および人口統計」の解説
ティルジット条約によれば、公国の領域は大まかに、第2次および第3次ポーランド分割の領域のうちダンツィヒとビアウィストク周辺の地域を除いたものだった。ダンツィヒはフランスとザクセン王国の共同「防衛軍」の下で自由都市とされ、ビアウィストクはロシアに与えられた。プロイセンの領域は、以前のプロイセンの州のうち新東プロイセン、南プロイセン、新シュレージエン、西プロイセンとされた。加えて、新国家はノテチ川沿いの領域とヘウムノ(Chełmno)地区も与えられた。 合計すると、公国は104,000 km2ほどの当初の領域と、およそ260万人の人口を擁していた。その住民のほとんどがポーランド人である。 1809年にはオーストリアのガリツィアとザモシチおよびクラクフの領域を併合し、公国の領域はおよそ155,000 km2に大きく増加し、人口もおよそ430万人に急増した。
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