地下軍需工場跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 10:55 UTC 版)
太平洋戦争中、この岩山の地下に中島飛行機の地下軍需工場を建設するため、岩山の最下部に大きなトンネル(直径3メートルほど)が碁盤の目状に掘られ、その出入口として吉見百穴には3か所の坑口が掘り出された。また、吉見百穴のすぐそばを市野川が蛇行して流れていたが、軍需工場の前面に用地を確保するため、流路を西側へ移動する河川改修も合わせて行われた。この際、元から存在していた横穴が十数個崩されて消滅している。これらの軍用トンネルの内壁は、ほぼ素掘りのままとなっている。夏期は涼風が吹き出すことがある。軍用トンネルの奥は危険なため、途中から鉄柵で塞がれている。
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