在原遠瞻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/19 06:48 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動在原 遠瞻(ありわら の とおみ、生年不明 - 仁和3年6月29日(887年7月23日))は、平安時代前期の官人。中納言・在原行平の子。平城天皇の曾孫にあたる。官位は正六位上・右近衛少監。
経歴
光孝朝にて正六位上・右近衛少監の官位にあったが、仁和3年(887年)6月25日に父行平の鴨河の辺の邸宅に滞在していた際、落雷より没した。
子孫を大谷氏とし、大谷吉隆(吉継)に繋げる系図がある[1]。
官歴
『日本三代実録』による。
脚注
- ^ 「大谷氏系図」(『姓氏家系大辞典』1209頁)
参考文献
- 経済雑誌社 編 『国史大系 第4巻 日本三代実録』 経済雑誌社、1901年 。
- 阿部猛 『日本古代人名辞典』 東京堂出版、2009年。ISBN 4490107617。
- 太田亮『姓氏家系大辞典』角川書店、1963年
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