四條畷の戦いと楠木正行の戦死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 09:33 UTC 版)
「南北朝時代 (日本)」の記事における「四條畷の戦いと楠木正行の戦死」の解説
父楠木正成の後を継ぎ楠木氏棟梁となった南朝の武将楠木正行は、正平2年/貞和3年(1347年)、藤井寺の戦いや天王寺・住吉の戦いで、幕府の有力武将細川顕氏や山名時氏に勝利した。 だが、事態を重く見た幕府執事高師直は、大軍を編成し、正平3年/貞和4年1月5日(1348年2月4日)、四條畷の戦いで正行とその弟楠木正時兄弟らを討ち、敗死させた。
※この「四條畷の戦いと楠木正行の戦死」の解説は、「南北朝時代 (日本)」の解説の一部です。
「四條畷の戦いと楠木正行の戦死」を含む「南北朝時代 (日本)」の記事については、「南北朝時代 (日本)」の概要を参照ください。
- 四條畷の戦いと楠木正行の戦死のページへのリンク