四井主馬とは? わかりやすく解説

四井主馬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/30 07:21 UTC 版)

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戦国時代の人物 (日本) > 忍者 > 歴史上の忍者 > 四井主馬

四井 主馬(よつい しゅめ、生没年不詳)は、戦国時代安土桃山時代忍者(初代)[1] 。安土桃山時代、江戸時代初期の加賀藩富山藩(二代)。四井は「しい」とも読む。

初め甲斐国武田氏に仕えていたとされ[要出典]、後に加賀国の前田利家に仕え、加賀忍軍を率いていたという[2]。 天正13年(1585年)2月村井長頼に従い加賀・越中国境沿いの蓮沼城を攻めている[3]関ケ原では大聖寺城落城の際に利長の命により城内に火を放ち、後に前田利政に西軍の人質となっている利政室(蒲生氏郷の娘)の救出を命じられ、大坂に赴いたという[4] 。その後主馬が利政室を救出したとの記述は無く、結局利政は七尾から動かず西軍に味方したとされて改易になった。 なお、加賀忍軍は、大坂の陣終結後に解散されたとされるが、徳川方の警戒を解くための偽情報とも言われており、事実は定かではない[要出典]

子の四井喜兵衛は利政の伏見在番衆として名前が見え[5]、元和侍帳では四井喜兵衛 百石と記され、御馬廻衆に属した。 その後父と同様に主馬を名乗った事が「寛永四年侍帳」に見える。寛永14年(1637年)本多政重横山長知から、江戸金沢間の伝馬の賃金見積りを通知されている[6]。 同16年(1639年)前田利次の富山立藩に従い、30石を加増された[7]。承応4年(1655年)越中婦負郡内から年貢が納入され、主馬に23石が支給された記録が残る[8]。 二代藩主正甫の分限帳に四井氏の名前は見えず、絶家となった[9]

登場する作品

脚注

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  1. ^ 『末森記』に、村井山崎計(はかり)にて四井主馬と云ひし夜盗(忍者)引具し、という記述がある。『末森記』P422、『前田家戦記集』P32.
  2. ^ 『荒山合戦記』に伊賀忍衆の偸組(ぬすみぐみ)が不動寺に火を放ったことが記されているが、四井主馬の名前は無い。『荒山合戦記』P404、『前田家戦記集』P13.
  3. ^ 『末森記』P422、『前田家戦記集』P32.
  4. ^ 『浅井畷軍記』、『前田家戦記集』P77.
  5. ^ 慶長3年9月25日(前田)利政判物 伏見番交名(三輪伝書)、『新修七尾市史3 武士編』P175~176.
  6. ^ 寛永14年3月14日中村新左衛門、原田又右衛門、副田権左衛門、四井主馬宛本多安房守(政重)横山山城守(長知)連署状『金沢市史 資料編6 近世四』P67~68.
  7. ^ 「御分国之砌御家中禄高帖」、『越中資料集成1』P4.
  8. ^ 承応4年4月21日婦負郡内長沼村百姓中宛 前田利次判物、『越中資料集成9』P446.
  9. ^ 「貞享3年富山藩武鑑」、「元禄3年正甫公分限帳」、『越中資料集成1』

参考文献


四井主馬

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白兵武者」の記事における「四井主馬」の解説

武田忍びとして武藤喜兵衛仕えていた。スペル・デルフィン風の仮面被っており、部下達当時大阪プロレスマスクマン達を摸している。竹中半兵衛調略の際に正之進と闘って以来なにかと顔を合わすようになったが、同時に利家とも顔なじみとなる。

※この「四井主馬」の解説は、「白兵武者」の解説の一部です。
「四井主馬」を含む「白兵武者」の記事については、「白兵武者」の概要を参照ください。

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