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嘉悦信之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 09:43 UTC 版)

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嘉悦 信之(かえつ のぶゆき、1826年文政9年12月)- 1901年明治34年)10月1日[1][2])は、幕末熊本藩家士[3]、明治期の農業指導者・政治家衆議院議員、熊本県会議長。

経歴

肥後国下益城郡堅志田村(熊本県[1]下益城郡中山村[2]堅志田[4]、中央村、中央町を経て現美里町)で生まれた。近藤淡泉に師事し漢学を修め[3]、武芸に励んだ[1][2][3]。魚住源次兵衛、宮部鼎蔵山田信道らと共に尊王攘夷派として国事に奔走した[3][4]。熊本藩の地方文武芸取締役となった[3]西南戦争では、地元有志者と共に別働第3旅団に従い、探索などに従事した[3]

熊本県会議員に選出され、同常置委員、同議長も務めた[1][2][3][4]。1892年(明治25年)2月、第2回衆議院議員総選挙(熊本県第4区、中央交渉会)で当選し[3][5]、その後、議員倶楽部に所属して衆議院議員に1期在任した[1][2]

また、蚕糸業発展に尽力し、東肥産馬改良会社の設立に参画した[1][2]

脚注

  1. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』166頁。
  2. ^ a b c d e f 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』122頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『明治肖像録』29頁。
  4. ^ a b c 『肥後人名辞書 全』201頁。
  5. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』60頁。

参考文献

  • 田中彦次郎編『明治肖像録』帝国史会、1898年。
  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 角田政治編『肥後人名辞書 全 複刻版』青潮社、1973年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。





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