和泉市立南池田中学校
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和泉市立南池田中学校 | |
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南池田中学校(2025年7月)
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北緯34度26分51.6秒 東経135度28分0.1秒 / 北緯34.447667度 東経135.466694度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | ![]() |
設立年月日 | 1983年4月 |
開校記念日 | 6月22日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | C127210003558 |
所在地 | 〒594-1117 大阪府和泉市鍛治屋町226 |
外部リンク | 公式サイト |
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和泉市立南池田中学校(いずみしりつ みなみいけだちゅうがっこう)は、大阪府和泉市にある公立中学校。
概要
市内を南北に流れる槇尾川が形成する池田谷の中流域に位置し、旧南池田村(万町・和田町の一部、光明台、みずき台を除く)およびトリヴェール和泉の一部を校区としている。2024年(令和6年)5月1日現在の生徒数は799名で、市内の中学校の中では和泉市立和泉中学校の次に多い[1]。
なお、かつて地域には同名の南池田中学校が存在していたが、1961年(昭和36年)に(旧)北池田中学校および(旧)北松尾中学校と統合し、和泉市立第二中学校として3分校で発足した。1962年には校名を石尾中学校として現在地に創立[2]。
沿革
略歴
和泉市立石尾中学校の生徒数は1983年(昭和58年)には過去最多の1,871名となりマンモス校化したことから、同年に南池田中学校が分離開校した。開校当初の生徒数は1年252名、2年231名、3年226名で、合計709名であった。さらに、1992年(平成4年)には、生徒数が1,100名を超えていたため、北池田中学校が分離開校した。これらの分離により、石尾中学校の生徒数はおおむね600名弱にまで減少した[3]。
年表
- 1983年(昭和58年)1月 - 校名決定。
- 1983年(昭和58年)4月 - 和泉市立石尾中学校から分離、開校。
- 1983年(昭和58年)6月 - 体育館落成。
- 2004年(平成16年)4月 - はつが野地区が校区となる。
- ※出典が個別に示されていない記述は、学校公式サイト内の「沿革」ページに基づく[4]。
教育方針
教育目標
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- 「生きる力」を育む
- 「豊かな心」を育む
- 「基礎」・「基本」を身につけ、活用する力を育む
めざす生徒像
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- 自ら考え、つながり合い、支えあう子ども
育てたい力
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- 自分の考えをもつ力、一人ひとりを大切にする力、自分を表現する力
- 学びあう力、チャレンジする力
通学区域
- 和泉市立南池田小学校、和泉市立青葉はつが野小学校の通学区域[5]。
交通
著名な出身者
- 今掛航貴 - プロサッカー選手
脚注
- ^ “令和6年和泉市教育委員会第5回定例会”. 和泉市 (2024年5月1日). 2025年7月16日閲覧。
- ^ 『和泉市立石尾中学校創立50周年記念誌』、昭和36~40年度、16頁。
- ^ 『和泉市立石尾中学校創立50周年記念誌』、資料編、36頁。
- ^ “本校の沿革”. 南池田中学校ホームページ (2020年3月2日). 2025年7月16日閲覧。
- ^ “和泉市立小学校、中学校及び義務教育学校就学区域”. 和泉市. 2025年7月16日閲覧。
参考文献
- 和泉市史編纂委員会 編『和泉市史』 1巻(復刻)、大阪府和泉市役所、1980年。
- 和泉市史編纂委員会 編『和泉市史』 2巻(復刻)、大阪府和泉市役所、1980年。
- 石尾中学校創立50周年記念事業実行委員会 編『和泉市立石尾中学校創立50周年記念誌』和泉市立石尾中学校、2011年12月1日。
関連項目
外部リンク
固有名詞の分類
- 和泉市立南池田中学校のページへのリンク