吾妻神社 (横浜市)とは? わかりやすく解説

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吾妻神社 (横浜市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/11 06:19 UTC 版)

吾妻神社
所在地 神奈川県横浜市中区本牧原29-18
位置 北緯35度25分20.9秒 東経139度40分03.3秒 / 北緯35.422472度 東経139.667583度 / 35.422472; 139.667583 (吾妻神社 (横浜市))座標: 北緯35度25分20.9秒 東経139度40分03.3秒 / 北緯35.422472度 東経139.667583度 / 35.422472; 139.667583 (吾妻神社 (横浜市))
主祭神 日本武尊
社格 村社
創建 文和3年(1354年)または天和3年(1683年
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吾妻神社(あづまじんじゃ)は、神奈川県横浜市中区神社

歴史

1354年文和3年)または1683年天和3年)に創建された。文和説によれば、新田義貞の家臣篠塚重広によって創建された。当社の神体だった古代人の服装をした鉈彫りの像に「文和甲午三年正月十七日祠基新謹平重廣」と書いてあるのが、その根拠である。ただ、この像は1945年昭和20年)の横浜大空襲によって焼失してしまった。もう一つの天和説では、漁師「吉太夫」がをしている際に、海上に浮かぶ像を発見した。この像は東京湾の対岸の上総国望陀郡吾妻村(現・千葉県木更津市吾妻)の吾妻神社が所蔵していたものであったが、津波によって流出してしまったものという。吉太夫は神職になり、この像を祀る神社を創建したという。近くの天徳寺が別当寺であった[1][2]

現在は、同県同市南区山王町お三の宮日枝神社の兼務社となっている[2]

交通アクセス

脚注

  1. ^ 稲葉博 著『かながわの寺と社 その成立と縁起(かもめ文庫‐かながわ・ふるさとシリーズ18)』神奈川合同出版、1984年、81-82p
  2. ^ a b 吾妻神社日枝神社

参考文献

  • 稲葉博 著『かながわの寺と社 その成立と縁起(かもめ文庫‐かながわ・ふるさとシリーズ18)』神奈川合同出版、1984年



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