古鹿田村とは? わかりやすく解説

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古鹿田村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/27 09:06 UTC 版)

こかだそん
古鹿田村
廃止日 1899年8月1日
廃止理由 編入合併
古鹿田村岡山市鹿田村福浜村
現在の自治体 岡山市
廃止時点のデータ
日本
地方 中国地方山陽地方
中国・四国地方
都道府県 岡山県
御野郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,536
[1]、1891年)
隣接自治体 福浜村、芳田村、鹿田村、三櫂村、平井村、岡山市
古鹿田村役場
所在地 岡山県御野郡古鹿田村大字七日市
旧・古鹿田村役場庁舎位置
(春日神社東側)[2]
座標 北緯34度38分29秒 東経133度55分56秒 / 北緯34.641319度 東経133.932194度 / 34.641319; 133.932194 (古鹿田村)座標: 北緯34度38分29秒 東経133度55分56秒 / 北緯34.641319度 東経133.932194度 / 34.641319; 133.932194 (古鹿田村)
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古鹿田村(こかだそん[3])は、岡山県御野郡にあった自治体である。

概要

旭川下流右岸に位置した。かつての鹿田荘の一部であり村名の由来でもあるが、鹿田村と分かつため「古」を冠した[4]

奥内村・田住村・二日市村・七日市村・十日市村・青江邑・円覚村・新福村があったが、1875年明治8年)3月に奥内村と田住村が合併して奥田村、円覚村と新福村が合併して豊成村となった[4]。また青江邑は青江村と改称した。

沿革

  • 1883年(明治16年)2月15日 - 連合戸長役場制度発足により、御野郡第九部戸長役場を七日市村に設置し、同村および二日市村・奥田村・十日市村・青江村・豊成村を管轄[4]
  • 1889年(明治22年)6月1日 - 町村制の施行により、二日市村(大部分)・七日市村・十日市村・奥田村・豊成村・青江村および岡山区新道の一部が合併して村制施行し、古鹿田村が発足。旧村名を継承した6大字を編成し、役場を七日市に設置[1]
  • 1899年(明治32年)8月1日 - 岡山市、鹿田村、福浜村に分割編入。同日古鹿田村廃止。

合併後

古鹿田村廃止の際、七日市は岡山市の、豊成・青江は福浜村の、奥田は鹿田村の各大字となった[1]

二日市は一部(字楮畠・字坪場・字下内田口・字銭屋敷・字矢倉下・字興七郎地・字清介地・字吉五郎地・字西川東筋・字古木屋橋筋・字寺町筋・字土手筋・字馬場筋・字宮地・字宮西・字新道・字下三野口・字西側筋)が岡山市二日市町となり、残余は鹿田村の大字となった[1][5]

十日市は一部(字堀切・字中大明)が岡山市七日市となり、残余は福浜村の大字となった[1][5]

当時の主要施設

  • 春日神社

参考文献

  • 『岡山市史 政治編』岡山市役所、1964年。

脚注

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関連項目




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