古山春司郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/06 09:49 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動古山 春司郎(ふるやま はるしろう、1883年(明治16年)1月16日[1] - 1953年(昭和28年)5月11日[2][3])は、日本の検事。
経歴
千葉県上埴生郡豊栄村(現在の長生郡長南町)出身[1]。1912年(明治45年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し[4]、司法官試補となる[1]。鹿児島地方裁判所予備判事、大分地方裁判所・大分区裁判所判事を経て、1916年(大正5年)に検事に転じ、名古屋地方裁判所・名古屋区裁判所検事、岐阜地方裁判所・岐阜区裁判所検事、甲府地方裁判所・甲府区裁判所検事、東京地方裁判所・東京区裁判所検事、横浜地方裁判所検事、東京控訴院検事、長崎控訴院検事を歴任した[4]。
その後、台湾総督府法院検事となり、台北地方法院検察官長、高等法院検察官長を務めた[4]。
1942年(昭和17年)に退官した後は台湾総督府評議員に就任した[4]。
脚注
参考文献
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。
- 『帝国法曹大観』帝国法曹大観編纂会、1915年。
- 古山春司郎のページへのリンク