原田英彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/06 04:34 UTC 版)
基本情報 | |
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国籍 |
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出身地 | 京都府京都市南区 |
生年月日 | 1960年5月19日(64歳) |
身長 体重 |
176 cm 86 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 外野手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
監督歴 | |
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この表について
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原田 英彦(はらだ ひでひこ、1960年5月19日 - )は、京都府京都市南区出身の元アマチュア野球選手、高校野球指導者。
来歴・人物
小学生の時から平安高校の野球部に強い憧れを持っており[1]、高校入学後は中堅手を務めた[2]。
高校卒業後は日本新薬に入社し、野球部で主将を務め、13年間で10度の都市対抗野球への出場を果たした[2]。
引退後は、1993年から母校の平安高校で監督を務め、1997年選手権で準優勝、2014年センバツでは監督として初優勝を果たした[1]。
2025年2月13日、2人の部員に対して指導の一環として、口頭での注意やたたくなどの行為を繰り返し行い、うち1人が約30日の通院加療を要する打撲傷を負った。その部員が翌日登校しなかったことで、学校側が体罰を把握し、原田は同月中旬より自宅待機を命じられた。本件が就業規則に定める懲戒事由に該当すると判断されたため、懲戒手続きが進められていたが、原田は同月17日に退職届を提出し、3月2日付で退職となった[3][4][5]。
甲子園での成績
- 春:出場11回・19勝10敗・勝率.655・優勝1回
- 夏:出場8回・12勝8敗・勝率.600・準優勝1回
- 通算:出場19回・31勝18敗・勝率.633・優勝1回・準優勝1回
主な教え子
脚注
- ^ a b zakzak (1 June 2014). "龍谷大平安監督・原田英彦編(2) 付属中受験失敗で増す憧れ 練習も試合も欠かさず観戦". 夕刊フジ. 2021年11月26日閲覧。
- ^ a b "27代 原田英彦". 龍谷大平安硬式野球部応援サイト 〜ALL 平安〜. 2021年11月26日閲覧。
- ^ 「龍谷大平安が原田英彦監督の退任発表 2月中旬に自宅待機、3月2日付で退職届を提出」『日刊スポーツ』2025年3月5日。2025年3月6日閲覧。
- ^ 「【高校野球】体罰の龍谷大平安・原田英彦監督が退職 生徒は全治30日 OB川口知哉コーチが監督代行に」『スポーツ報知』2025年3月5日。2025年3月6日閲覧。
- ^ 「甲子園出場76回 京都 龍谷大平安の野球部監督が部員に暴行か」『NHK NEWS WEB』2025年2月26日。2025年3月6日閲覧。
関連項目
- 原田英彦のページへのリンク