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原田棟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/05 01:13 UTC 版)

原田 棟(はらだ むなぎ、1893年明治26年)9月24日[1] - 1982年昭和57年)2月28日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将

経歴

広島県出身[1][3]。1915年(大正4年)5月、陸軍士官学校(27期)を卒業[1][4]。同年12月、歩兵少尉に任官した[4]

1932年(昭和7年)8月、歩兵少佐に進級[5]。1935年(昭和10年)3月、陸士本科生徒隊中隊長に就任し[5]、1937年(昭和12年)8月、歩兵中佐に進んだ[6]。1939年(昭和14年)8月、歩兵大佐に昇進し陸士教官に就任[3]。1940年(昭和15年)5月、陸軍憲兵学校教官を兼務した[3]

1940年12月、歩兵第215連隊長に発令され太平洋戦争に出征[1][3]ビルマの戦いに参戦した[1]。1943年(昭和18年)6月、仙台陸軍教導学校長に発令され帰国[3]。同年8月、教導学校の改組により仙台陸軍予備士官学校長に就任[1][3]。1944年(昭和19年)3月、陸軍少将に進級した[1][3]。1945年(昭和20年)2月、警備第3旅団長に発令され[3]東京都渋谷で終戦を迎えた[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[7]

1982年2月、急性冠不全のため品川区の東芝中央病院(現東京品川病院)で死去した[2]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 『日本陸軍将官辞典』602頁。
  2. ^ a b 『現代物故者事典 1980〜1982』264頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』379頁。
  4. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』369、379頁。
  5. ^ a b 『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和11年9月1日調』208頁。
  6. ^ 『官報』第3175号、昭和12年8月3日。
  7. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」21頁。

参考文献

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 『現代物故者事典 1980〜1982』日外アソシエーツ、1983年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 陸軍省編『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和11年9月1日調』偕行社、1936年。



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