千屋熊太郎とは? わかりやすく解説

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千屋熊太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/12 08:32 UTC 版)

千屋 熊太郎(ちや くまたろう、1844年天保15年11月〉 - 1864年10月5日元治元年9月5日〉)は、江戸時代土佐藩医学者尊皇攘夷運動家。本姓は菅原氏。名は孝樹[1]

概要

土佐国安芸郡和食村(現・高知県安芸郡芸西村和食)の庄屋・千屋清助の子として生まれる。千屋菊次郎・千屋金策は従兄に当たる[1]

万延元年(1860年)大坂へ上り、緒方郁蔵(研堂)に医学を学び、文久2年(1862年)故郷に帰国してから開業を果たす[1]

元治元年(1864年)、土佐勤王党の党首武市瑞山の投獄を期に、武市の釈放を求めた清岡治之助・清岡道之助を中心とした野根山の集まりに参加し、土佐藩に捕縛される。同年9月5日、奈半利川の岸にて斬首された(野根山二十三士の殉難)。享年21歳。

明治31年(1898年)7月4日、従五位を追贈された[2]

脚注

  1. ^ a b c 『高知県人名事典』高知市民図書館、1971年、p.220。
  2. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』近藤出版社、1975年、特旨贈位年表p.11

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