北軽井沢大学村
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北軽井沢大学村(きたかるいざわだいがくむら)は、群馬県吾妻郡長野原町大字北軽井沢にある別荘分譲地。通称「大学村」。軽井沢の北部、浅間山のふもと標高1110mの平坦地に位置する歴史と文化の香り漂う避暑地。大学村組合は独自の水源地を持ち、水供給の地域独占と、環境保全協定のネットワーク性が大きな特徴である。高原地帯であるため、**冷温帯湿潤気候(Cfb型)**に近い高地性気候のため、夏季も涼しい。
概要
北白川宮家の273ヘクタールの牧草地が草津軽便鉄道株式会社に払い下げられ、その後1920年に法政大学学長であった松室致が草津軽便鉄道株式会社から譲り受けた。そして、松室学長は大正時代末、ここに法政大学の教職員と学生を中心とした理想的な教育と共同生活の場「法政大学村」をつくろうと思い立ち、教職員への土地分譲の計画から生まれた別荘分譲地として、開拓が進んだ。教授達には坪1円で分譲を始めた。[1]。
旧館林藩主の秋元子爵が別荘を建てたのを始まりに、初期の村民には、安倍能成、谷川徹三、野上弥生子(豊一郎夫人)、田邊元、津田左右吉、小泉信三、岸田國士らが名を連ね、開村初期には、大学教授をはじめ、小説家、劇作家、哲学者、出版人など文化人が居住する村となる。
昭和期の知識人山荘文化として、大正11年に東京大学の学者らが開村した北軽井沢一匡邑と大学村の交流に端を発する「北軽井沢学者山荘文化」が特筆される。戯曲家・小説家の岸田國士(岸田今日子・岸田衿子姉妹の父)、法政大学で哲学を講じた谷川徹三とその子谷川俊太郎の山荘を中心に、英文学者吉田健一、岩波書店創業者の岩波茂雄、作曲家寺島尚彦らの山荘が並び、居住者の間で積極的な北軽井沢インテリジェンス・ヴィレッジ文化交友が行われた。これらの人的交流は、昭和期における知識人サロン文化の成熟を体現し、居住者の創作活動や思想的営為に影響を与えたと評価できる。後年には大江健三郎も山荘を構え、夏季の滞在を通じて村民間の交友を継承した。
この文化的系譜は現代にも受け継がれている。建築家篠原一男の設計(当時の設計担当は大学院生でありその後女性建築家の草分け的存在の長谷川逸子)による谷川山荘は、遠山正道と文字美術作家の遠山由美に継承され、現代的な実業家・クリエーターの交流拠点として機能している。こうした展開は、昭和期の知識人山荘文化の系譜が形を変えつつ存続していることを示している。
また、浅間山南麓の軽井沢が大手資本によるリゾート開発と商業化を遂げたのに対し、北軽井沢は喧騒や過度な商業主義から距離を置き、文学や文化を基盤とした独自の価値観を育んできた点において、きわめて対照的である。[2]
特徴
- 文化人の住まいが多いため、午前中は執筆や研究のさまたげにならないよう、おたがいを訪問しあわない決まりは開村時からの不文律は、現在も受け継がれている。運動会や演奏会、講演会も開かれ、単なる別荘地というより、共同体としてのつながりが大切にされている。
- 住居表示とは別に、大学村内では、〇〇条〇〇丁目と、東西の路 (条)と南北の路 (丁)を碁盤の目状に組み合わた住所を使用している。
- 舗装道路ではなく砂利道のため景観として自然調和が保たれているだけでなく、極暑の昨今でも大学村内に入ると夏季最高気温が25度程度に保たれ、室温も20度程度と涼しく、避暑として環境保全協定の継承が有効に働いている。
- 司法省技師であった建築家の蒲原重雄が、法政大学学長からの依頼で開村初期に山荘群を設計した。建畠大夢がオーナーの洋小屋組が特徴の南紀倶楽部(元紀州出身の美術家グループのアトリエである南紀美術倶楽部)は、現在は組合が所有者になり現存する
- 岩波書店オーナーの岩波茂雄は、大学村の自然や景観を大変気に入り、自身の別荘を構えただけでなく、文士達に広く声をかけ、野上弥生子、芥川比呂志 、岸田今日子、更には谷川俊太郎、大江健三郎も加わり、サロンやコミューン的な山荘文化を育み成熟していった点が、他の軽井沢のデイベロッパー分譲別荘地との特異点である。今でもここで創作活動をしている作家や芸術家、研究者が多いのが特徴だ。
- 自然をそのまま残す目的として、原則として1人1区画500坪、2区画まで所有できる建築協定がある。初期の住民は大学関係者に限られていたが、現在は他の別荘地同様に自由に不動産売買及び所有権移転ができる。開村時から別荘を3世代継承している世帯も多い。[3]
- 標高が高いため積雪もあるため、薪ストーブがほとんどの家にデザインされ、秋冬には煙突から煙がたなびく森の風景は、情緒がある。
- 軽井沢の別荘地に比べ、急斜面や坂の立地ではなく浅間山山麓の平坦地のため、散策に適している。また、軽井沢に比べて標高が高いため気温が低く、IKKOも、軽井沢から別荘を移設した。
大学村から生まれた文学作品
- 1928年以来、英文学者の野上豊一郎・弥生子夫妻は北軽井沢大学村の山荘で夏を過ごし、99歳まで読書と執筆中心の悠々自適の生活を楽しんだ。軽井沢を舞台にした作品に『迷路』、随筆集『鬼女山房記』がある。主な作品に『真知子』『迷路』『秀吉と利休』『森』など。山荘の離れ“鬼女山房”(書斎兼茶室)は1996年に大学村から軽井沢高原文庫前庭に移築された。
- 劇作家 岸田國士は北軽井沢大学村にオランダの農家風の山荘を1931年に建て、以後夏を過ごした。浅間山麓の自然を愛し、山羊や緬羊を飼うロハスな文化を体現した。「チロルの秋」「ぶらんこ」などエスプリの利いた心理喜劇や、小説、評論や、北軽井沢・信州を舞台に『浅間山』(戯曲)、『泉』『村で一番の栗の木』を生みだした。
- 岩波書店の会長だった小林勇氏の著書「山中独善」。1970年の夏に、独りで過ごした大学村の別荘での生活を、食物を主題として書かれた随筆。
大学村の著名人
- 岩波茂雄 作家
- 野上豊一郎 作家
- 安倍能成 作家
- 田辺元 作家
- 野上弥生子 作家
- 蒲原重雄 司法省技師 建築家
- 岸田国士 劇作家
- 谷川徹三 作家
- 御巫清勇 作家
- 小林勇 作家
- 芥川瑠璃子 作家
- 芥川比呂志 作家
- 芥川也寸志 作家
- 岸田衿子 詩人・童話作家
- 岸田今日子 俳優
- 谷川俊太郎 作家
- 大江健三郎 作家
- 大江 光 作曲家
- 佐野洋子 作家
- 芥川耿子 作家
- 長嶋有 作家
- 松室致 法政大学教授
- 米川正夫 ロシア文学者
- 中村稔 弁護士
- 田辺元 哲学学者 京都大学教授
- 津田左右吉 早稲田大学教授
- 村松康行 学習院大学理学部化学科教授
- 遠山正道 実業家
- 建畠大夢 彫刻家
- 小池朝雄 俳優
- 仲谷昇 俳優
- 北村和夫 俳優
- 山崎努 俳優
- 吉田健一 英文学者
- 森田草平 作家・翻訳家
一般社団法人 北軽井沢大学村組合事務所約款
一般社団法人北軽井沢大学村組合事務所は、北軽井沢駅舎そばの群馬県吾妻郡長野原町大字北軽井沢1987-786に存在する。
1.水道法に基づいた飲料水の供給と併せて住みよい環境の保全を図ること。
2.集会所、付属運動場を活用とした文化・スポーツの活動を通して、児童・青少年の育成・コミュニケーションを図ること。http://koueki.learning-with.us/gunma/508/22478/7096/
来歴
- 1920(大正9)年 - 松室致・法政大学学長が273ヘクタールの土地を草津軽便鉄道株式会社より取得
- 1927(昭和2)年 - 東京大学 北軽井沢一匡邑についで、法政大学村が開村。避暑地・北軽井沢の顔の誕生。
- 1929(昭和4)年 - 地蔵川駅の駅舎を新築。草津電気鉄道に寄付
- 1937(昭和12)年 - 開村10周年を機に村会制を組合制度に改め、「法政大学村」から「大学村」へと改称
- 1978(昭和53)年 - 北軽井沢大学村環境保全協定策定[4]
- 2015(平成28)年 - JR横浜駅西口・たまプラーザ駅・新横浜駅から直行高速バス開通。(東急・[[ 相鉄/上田バス]]共同運行)
- 2019(令和1)年 - JR渋谷駅・渋谷マークシテイ・中野坂上駅から直通高速バス(東急バス・京王バス・上田バス共同運行)開通[5]
脚注
- ^ “北軽井沢「法政大学村」~その1~”. HOSEI MUSEUM. 法政大学 (2011年7月20日). 2025年9月17日閲覧。
- ^ https://www.ma.ccnw.ne.jp/hiro-h/Kitakaru-monogatari/07wa/07wa.htm
- ^ https://kenji76nizi.livedoor.blog/archives/2307417.html
- ^ “北軽井沢大学村環境保全協定” (PDF). 一般社団法人北軽井沢大学村組合 (2009年6月13日). 2025年9月18日閲覧。
- ^ “たまプラーザ・二子玉川・渋谷-軽井沢・北軽井沢・草津温泉”. 東急バス株式会社 (2019年2月1日). 2019年5月4日閲覧。
外部リンク
- 北軽井沢大学村のページへのリンク