北条から徳川へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 08:12 UTC 版)
後北条氏により両上杉氏が関東から消滅すると、大石定久は北条氏康の三男・氏照を娘・比佐の婿に迎えて、自らは戸倉に隠居した。氏照が北条氏に復すると、定久の実子大石定仲が家督を継いだ。 小田原征伐により後北条氏が没落し、氏規が河内狭山に移されると、定仲と義弟(定久の養子)大石定勝の子孫は徳川氏に仕えた。旗本や八王子千人同心、陪臣(一橋家の近習番衆)になった者もあり明治に至る。
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