勢野茶臼山古墳とは? わかりやすく解説

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勢野茶臼山古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/17 20:37 UTC 版)

勢野茶臼山古墳

出土埴輪
奈良県立橿原考古学研究所附属博物館展示)
所在地 奈良県生駒郡三郷町東信貴ヶ丘1丁目
位置 北緯34度36分21.60秒 東経135度42分15.00秒 / 北緯34.6060000度 東経135.7041667度 / 34.6060000; 135.7041667座標: 北緯34度36分21.60秒 東経135度42分15.00秒 / 北緯34.6060000度 東経135.7041667度 / 34.6060000; 135.7041667
形状 前方後円墳(一説に円墳
規模 墳丘長40m
高さ5m(後円部)
埋葬施設 横穴式石室
出土品 埴輪須恵器
築造時期 6世紀初頭
史跡 なし
特記事項 墳丘は非現存
地図
勢野茶臼山古墳
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勢野茶臼山古墳(せやちゃうすやまこふん)は、奈良県生駒郡三郷町東信貴ヶ丘にあった古墳。形状は前方後円墳(一説に円墳)。現在では墳丘は失われている。

概要

奈良県北西部、平群谷南端の小丘陵上(標高142.3メートル)に築造された古墳である。1963年昭和38年)に発掘調査が実施されたうえで、宅地造成のため消滅している。

墳形は前方後円形で、前方部を南方向に向けた[1](想定前方部を自然地形として円墳と見る説もある[2])。墳丘外表では帯状の葺石のほか、埴輪が認められる[1]。埋葬施設は横穴式石室で、南西方向に開口した。ドーム状天井の玄室に狭長な羨道が接続するという、初期横穴式石室の特徴を呈する。石室内は盗掘に遭っていたが、調査では形象埴輪須恵器が検出されている。

築造時期は、古墳時代後期の6世紀初頭[1](または6世紀前半[2])頃と推定される。初期の横穴式石室の様相を知るうえで重要視されるとともに、埴輪の使用方法の変質を示唆する点でも貴重な古墳になる[1]

墳丘

墳丘の規模は次の通り[1]

  • 墳丘長:40メートル
  • 後円部
    • 直径:28メートル
    • 高さ:5メートル
  • 前方部
    • 幅:18メートル

埋葬施設

埋葬施設としては横穴式石室が構築されており、南西方向に開口した。石室の規模は次の通り[1]

  • 玄室:長さ4.6メートル、幅3.6メートル(中央)、高さ3.6メートル
  • 羨道:長さ5.4メートル、幅1.3メートル、高さ1.25メートル

玄室の平面形は長方形で、狭長な羨道が接続する。特に玄室は四壁とも強く持ち送り、ドーム状天井を形成するという初期横穴式石室の特徴を呈する[1]

玄室内は盗掘に遭っているが、羨道部は川原石の閉塞のため盗掘を免れている。調査では、羨道中央部から前庭部にかけて四注形家形埴輪、盾形・大刀形・蓋形埴輪、人物埴輪(女性)各1基が順に整然と配置された様子が認められている[1]。また須恵器(坏・高坏・子持高坏・甕)が閉塞石と混在した状態で検出されている[2]

関連施設

脚注

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

関連文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 『小泉狐塚・大塚古墳、勢野茶臼山古墳、和爾上殿古墳(奈良県史跡名勝天然記念物調査報告 第23冊)』奈良県教育委員会、1966年。 

関連項目




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