勝間田城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/12 13:28 UTC 版)
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築城主 | 勝間田氏 |
築城年 | 15世紀中頃? |
主な城主 | 勝間田氏 |
廃城年 | 1476年(文明8年) |
遺構 | 曲輪、土塁、空堀 |
指定文化財 | 静岡県指定史跡 1983年(昭和58年)2月25日 1991年(平成3年)12月17日追加[1] |
再建造物 | 建物跡(平面復元) |
位置 | 北緯34度46分42.3秒 東経138度09分25.4秒 / 北緯34.778417度 東経138.157056度座標: 北緯34度46分42.3秒 東経138度09分25.4秒 / 北緯34.778417度 東経138.157056度 |
地図 |
勝間田城(かつまたじょう)は、静岡県牧之原市勝田にあった日本の城。静岡県指定史跡[2]。
概要
城主勝間田氏は古くから当地(勝田庄)を本領とし、鎌倉時代には御家人、室町時代には奉公衆として幕府に仕え、鎌倉後期に『夫木和歌抄』の選者である勝間田長清を輩出するなどした名族である[3]。勝間田城の南西、菊川流域を支配した横地城の横地氏とは同族とされる。
城跡は、牧ノ原台地から駿河湾に注ぐ勝間田川の上流部となる標高130メートルほどの丘陵地にある。築城年代は15世紀半ば頃と考えられている[3]。尾根の最上部に「本曲輪」・「二の曲輪」・「三の曲輪」という三つの主要区画があり、周囲の稜線にも曲輪や堀切、土塁、空堀などが残っている。現在は発掘調査ののち史跡公園となり、遺構のほか駐車場やトイレなども整備されている[4][5]。
1476年(文明8年)、今川義忠に攻められ横地城とともに落城した[6]。
脚注
- ^ 静岡県『国県指定文化財一覧』
- ^ 『国・県指定の文化財』牧之原市ホームページ
- ^ a b 溝口 2009 pp.98
- ^ 溝口 2009 pp.100
- ^ 『勝間田城跡』牧之原市観光協会ホームページ
- ^ “静岡県史跡 勝間田城”. 牧之原市. 2025年3月12日閲覧。
参考文献
関連項目
外部リンク
- 『国・県指定の文化財』牧之原市ホームページ
- 『勝間田城跡』牧之原市観光協会ホームページ
- 勝間田城のページへのリンク