助造事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/20 23:38 UTC 版)
天理教において最古の分派事件とされる。針ヶ別所村の助造という人物は、眼病のため天理教の中山みきの元に参詣していたが、「天理王命の本地は針ヶ別所にある」という異説を唱えるようになる。中山みきは飯降伊蔵らを針ヶ別所に赴かせ、助造らの祀ってあった幣をへし折り、竈へくべてしまい口論となった。三日にわたる口論の末、助造がみきに謝罪したことで漸く事件は治った。助造は今井新治郎という人物と同一であるとされ、天理教の信仰は篤く「扇のさづけ」と呼ばれる特別な能力も拝戴していた。助造は「天輪王教会」を開き、官憲の圧迫を受けるも1891年(明治34年)に亡くなり、教団も長くは続かなかった。
※この「助造事件」の解説は、「転輪王教会」の解説の一部です。
「助造事件」を含む「転輪王教会」の記事については、「転輪王教会」の概要を参照ください。
- 助造事件のページへのリンク