加田範胤
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 22:09 UTC 版)
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時代 | 江戸時代後期 |
生誕 | 天明5年(1785年)11月25日 |
死没 | 元治元年(1864年)9月1日 |
官位 | 従六位上・周防守 |
主君 | 正親町三条公則→正親町三条実愛 |
氏族 | 入江家→加田氏 |
父母 | 父:入江則徳 |
兄弟 | 則孝、則業 |
子 | 範貞、範忠 孫:千葉洪胤 |
加田 範胤(かだ のりたね、天明5年(1785年)11月25日 - 元治元年(1864年)9月1日)は、江戸時代後期の地下官人[1]。
概要
加田氏は庭田家の家侍を務めた家で、「庭田大納言殿内」の加田市正による慶応4年(1868年)3月20日付の願書が現存している[2]。
文政2年(1819年)6月13日には従六位下・周防守に叙された。同10年(1827年)1月21日には従六位上、天保6年(1835年)1月14日には正六位下、同13年(1842年)3月16日には再び従六位下、嘉永3年(1851年)12月19日に従六位上に叙されている。
脚注
注釈
出典
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