加島五千石
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 14:36 UTC 版)
富士川がもたらした砂礫により形成された扇状地である加島平野は、氾濫により開発が及ばない地域であった。やがて雁堤が完成すると富士川の本流は富士川西岸の岩淵村・中之郷方面へ移動し、それより東側に位置する富士川東岸の加島平野は次第に安定するようになった。 このように安定を得た加島平野ではやがて新田開発が進み、その様相は「加島五千石」と讃えられるまでに至った。それにより農作物が作られるようになり、産物として「加島米」「富士梨」等が生まれた。加島米は『駿河国新風土記』に「米ハ早稲、多く他村に先ち熟す(中略)此を加島米と称す」とあり、この地で量産された。富士梨は塩沢家の塩沢茂三郎が富士郡下で初めて梨を栽培したことから始まる。
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