前橋藩酒井家と伊勢崎とは? わかりやすく解説

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前橋藩酒井家と伊勢崎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 13:13 UTC 版)

伊勢崎藩」の記事における「前橋藩酒井家と伊勢崎」の解説

那波藩」も参照 元和2年1616年)に稲垣氏転出した後の伊勢崎領は、秀忠付き家老である酒井忠世前橋藩酒井重忠嫡男)の領地組み込まれた。酒井家雅楽頭家)の家督は重忠であるため部屋住とされるが、その所領5万2000石に及んだ。 忠世を大名那波藩主)であったとする見方があり、慶長14年1609年)には善養寺居所として2万石を支配した元和2年1616年)に勢多郡佐位郡の2郡内で32000石を加増されたが、この中伊勢崎領や、牧野忠成転出した後の大胡領が含まれる。この時の加増によって、忠世は伊勢崎藩5万2000石で入封したとする捉え方もある。 翌元和3年1617年)、重忠が死去すると忠世は家督継ぎ従来所領と父の遺領併せ前橋居城とした。これにより忠世は前橋藩85000石の藩主になった(のちに12万余石まで加増)。 寛永14年1637年)、前橋藩酒井忠清(忠世の孫)は、弟の酒井忠能上野国佐位郡那波郡)・武蔵国のうち2万2500石を分与した。これにより、前橋藩支藩として伊勢崎藩成立した那波藩とする解釈もある)。寛文2年1662年6月に忠能は信濃小諸藩移封され、伊勢崎領は再び前橋藩領となる。

※この「前橋藩酒井家と伊勢崎」の解説は、「伊勢崎藩」の解説の一部です。
「前橋藩酒井家と伊勢崎」を含む「伊勢崎藩」の記事については、「伊勢崎藩」の概要を参照ください。

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